続・ワンダフル道中

明るい声のあいさつから始まる毎日を。

左手音楽の向こう側で光っているもの「智内武雄ピアノリサイタル」

「アカルいコえのアいさつ」から始まる毎日!
www.akarucoa.com

秋も深まるなか、ピアノリサイタルの影アナウンス。
仕事で芸術の秋を堪能できる(しかも家族なしで、一人で!)ぜいたくな時間です。

活動拠点である大阪から、家族みんなで来ていた智内さん。

ピアニストというハッシュタグに、お父さんというハッシュタグが加わって、いっきに距離が近づくような気持ちに。

それにしてもこの日は、散歩しながら観光するにはぴったりの秋晴れ!

#ピアニスト の #お父さん がリハーサルしている間に少し観光を〜と奥様が子どもたちと外へ出られたので、「今日はボードウォークという川沿いのエリアでイベントしてますよ〜」とお知らせしました(*´∇`)ノ 徳島を楽しんでくれたらいいな♪


さて本番。
前半のテーマは「祈り」です。



第一次世界大戦で右手を失ったピアニストたちが活動を続けるために生まれたという、左手のピアノ音楽な歴史。
留学先として長く過ごした北ドイツとほど近いウクライナで、いままさに起きている戦争への思い。
ウクライナ人の友達を想う気持ち。

智内さんの話をきいたあとの音色は、より胸の奥に沁み入ってくるようでした。





智内さんのリサイタルは、音楽はもちろん、ご本人の語り(MC)が魅力です。

誰もが知っている音楽室に飾られていた音楽家や、現代の日本の音楽を支える若手の作曲家、青木聡汰さんの活躍など、智内さんが話すとどれも身近に感じられるのが不思議です。


また智内さんご自身の経験を交えてのエピソードは、「人生をかけてやり抜きたい思い」が伝わってきました。


左手で弾ける簡単な曲がない!

後半、智内さんの話は、一人の少年に出会ったところから始まりました。
左手のピアノ曲のかっこよさに魅了された少年は、半身麻痺がありました。智内さんは、そんなピアノ初心者の彼のために、弾きやすい素敵な曲を探しました。
でも、左手で簡単に弾ける曲は、なかったのです。

そもそも左手楽曲は、左手でしか弾けなくなったひとたちが、彼ら自身が舞台に戻るために作られたもの。もともとピアノが弾ける人というのが前提なので、どの曲も譜面がとても難しいのです。
だからこそ左手の音楽は芸術性が高いと言われるのですが、その一方で初心者にはとても演奏できない難易度のものが多いのです。




左手で弾ける簡単な曲はない。だったらだれもが弾ける曲をつくろう!
そうして立ち上げたのが、左手のアーカイブプロジェクトでした。

「左手のアーカイブ」

左手のアーカイブプロジェクトが監修した入門楽譜は、いまでは80曲近くあるそうです。

左手のピアニスト・智内威雄(ちないたけお)公式サイト

発表の場がない!

さてちょっと弾けるようになると、いろんなところで披露したり、自分の実力を試す場が欲しくなりますよね。
でも左手の音楽のためのコンサートや発表の場がありませんでした。


ここで出てきたのが
みんなと一緒に弾きたい!
じゃあフェスティバルをやろう!
でした。

そして、障がいのあるなしに関わらず、年齢も関係なく、片手で弾けば参加できるワンハンドフェスティバルが誕生したのです。

コンクールがない!


みんなの技術がどんどん上がってくると次はコンクール、と言うステップになります。

そして今度は左手の音楽のためのコンクールが生まれました。

現在は、アマチュアの演奏部門だけでなく、左手の音楽のための作曲部門もあり、演奏者と作曲家が手を繋ぐコンクールになっています。


なぜピアノを弾くのか

こころに残っているのが「以前は、なぜピアノ演奏するのですか?と聞かれるのが嫌だったんです」という智内さんのことば。

なぜそうするのか?と問われても、あまりにも当たり前にしてきたことを言葉に置き換えるのが難しかったのかもしれません。

あるいは、自分が納得するような表現がそのときはなかったのかもしれません。


「でも今は、少しでも左手の音楽を多くの人に届けたいと思ってピアノを弾いています」と智内さん。

「その向こう側には、より多くの人にクラシックに親しんでほしいという気持ちがあります。さらにその向こうには、みなさんにより身近に音楽を感じてもらい、音楽のある暮らしの魅力を伝えていきたいという思いがあります」

心のなかに「なんのため」を輝かせて

ご自身のことはあまり多く語られなかった智内さん。
でもこれまでの経験とたくさんの人との出会いによって、「何のために音楽を続けるのか」に答えが出たことに誇りを持っていらっしゃるのが伝わってきました。



ちいさな目の前の「なんのため」を見つけたら、その向こう側にある「なんのため」を見て、さらにその向こう側の「なんのため」を探り続ける。
生きることはなんのためを探し続けることなのかもしれないなぁと、しみじみとあわぎんホールをあとにしました。


しばらくしてぽてぽてと歩くわたしのスマホに、ケバブ丼をかきこむ子どものドアップ写真が!!

しみじみはどこへやら。

#影アナウンス を #おかあちゃん に付け替えて、肉祭りの最終日の藍場浜公園へ、急ぎ足で向かったのでした。